京の伝統と食品衛生に精通する野口さんにお任せ。 尾張屋㈱西村衛生ボーロ本舗 代表取締役社長・専務取締役 西村淑子様(右)・葛城寿美江様(左) 疫病に負けないよう栄養価の高いお菓子を 明治26年(1893年)に、現在も本店・工場を構える間之町で創業し、120年余りになります。それより以前は御所の近くで刀屋を営んでいましたが、政府の廃刀令を受けて転身いたしました。尾張屋という屋号は刀屋だった頃のものを受け継いでいます。 創業当初からこれまで、製品は衛生ボーロ一筋です。創業当時、日本では全国的に疫病が流行していたため、初代の西村元吉は「大人から子どもまで召し上がっていただけるような、栄養価が高くて消化もよい、美味しいものを提供したい」との強い思いを抱きました。そこで、馬鈴薯でんぷん・卵・砂糖を原材料としたお菓子に行きついたのです。製品名は、当時の人々の関心を集め流行語となっていた「衛生」を用い、『衛生ボーロ』としました。 一粒の大きさや丸い形にも、元吉には理由があったようです。原材料を混ぜ合わせて生地を作り、形を整え、石炭燃料で高温にした鉄板の上でコロコロと転がしながら焼いていました。 すべてが手作業の製造工程に工夫を施し、大量生産を実現させたのは、機械好きの二代目です。さらに三代目はオートメーション化を成功させ、本社と工場を新築し、一日二トンも製造できるようになりました。 オートメーション化しても、生地の仕上がり具合や焼き加減の見極め、調整は人の感覚、人の手でしかできません。丁寧な作り方、良い原材料の調達に根ざした味の品質は、創業以来ずっとこだわり続けています。 新工場で世界に通用する「衛生」を追求 三代目が建てた間之町の工場もいよいよ手狭になり、今回の梅津工場の新築を決めました。間之町の町中の工場で、大きなトラックが頻繁に出入りすることも気兼ねしていたのです。しかし、衛生ボーロは京都生まれのお菓子であり、京都の土地を離れたくはありませんでした。梅津というふさわしい場所に工場をつくれたことをうれしく思っています。 野口さんは京都のことをよくご存じで、京都の伝統にしたがって地鎮祭・棟上げ式などの式典をとても厳かに、盛大に行ってくださいました。特に「上棟式の歌」が感動的で、今でも社員のあいだでよく話題にのぼっています。 今回の梅津工場の新築に際しては、食品工場としての衛生面を強化し、国際的な認証規格であるHACCP(ハサップ)、FSSC22000を取得することも大きな目的でした。これらに対応できるプランをはじめ、デザインの詳細に至るまでのすべてを野口さんにお任せしました。とはいえ、私どもで決めるべきこともたくさんあります。わからないことがあれば、すぐに野口さんにお電話。いつでも素早くご対応くださり、とても安心できました。 梅津工場で作る製品はすべて小麦を除いており、グルテンを含まないグルテンフリーです。また、大粒シリーズや野菜入り、テトラパックなどの新製品も展開しています。 今後もここ京都で、様々な世代のお客様の体にも心にもやさしいお菓子を、社員一丸となって作り続けていきます。