建物は建てて終わりではないからこそ、信頼・信用が第一です。

いづくら㈱ 代表取締役

伊豆蔵 雅貴 様

  • 帯の大衆路線で一世風靡

  •  私ども「いづくら」のルーツは、江戸時代の人形師・伊豆蔵喜兵衛にまでさかのぼります。喜兵衛は大阪今橋に店を構え、3頭身の愛らしい童子姿の「伊豆蔵人形」をつくっていました。宮中の人々に愛玩きれ、参勤交代の途中に宮中に立ち寄った西国大名への返礼品として下賜されたことから「御所人形」「白菊人形」と称されたともいいます。
  •  明治26年、喜兵衛の末裔の末吉が広帯を織りはじめ、今日に続く「帯のいづくら」が産声をあげました。この織物業を発展させたのが、末吉の孫で、私の祖父にあたる禎三です。帯のネクタイ化、つまり、男性が洋服に合わせて毎日ネクタイをかえるように、女性もお召しになる着物に合わせて帯をかえ、おしゃれを楽しんでもらおうと考え、帯の大衆化を目指します。そのためには価格もこなれたものにする必要があり、分業が当たり前の時代に、デザインから製織までの生産工程を内製化したのです。それが功を奏して、問屋さんが大勢買いに来られるなど、事業が飛躍的に拡大しました。
  •  事業の発展に伴って、工場や本社・支店などを各地に建てることになり、その工事をお願いしたのが野口建設さんです。最初が昭和42年の山科加工場ですから、もう50年近いおつきあいになります。祖父は織物業以外にも幅広く事業を考えていたようで、私が小学生だった昭和57年には、西陣で先駆けとなる単身マンションの建設を野口さんに頼むなど、不動産の事業も早くから視野に入れていたようです。
  • ホテルのような質感がテーマ

  •  私の代になってからは、平成25年、第30年余りの本社社屋のリノペーションを元施工の野口さんにお願いしました。その際申し上げたコンセプトは「ホテルのような全体にゆったりとした上質な空間・雰囲気のある建物」です。
  •  設計をお願いしましたアーキネット京都一級建築士事務所の黒木先生と共に毎週打ち合せを重ねて、私どもが要望する細かな点にも熱心に耳を傾けていただきました。BGMが流れ、談話のできるエントランスホールや、私の母校の中庭をイメージした芝生の空間など、余裕のあるつくり方がステータスになっています。限られた面積でも、ゆとりの空間や緑があると癒されますからね。リノベーションならではの難しい部分も、アイデアを生かして長所に変えていただくなど、さすがだなあと思いましたね。

  •  建物は建てて終わりではなく、使用する側にとってはそこからがスタートです。野口さんは建てた後でも、何かあればすぐに駆けつけてくださいます。
  •  建ててから気づくこともあるので、「もう少し、こういう風に改善できないかな」と感じる部分も親身になって策を考えてくだきいます。建てた後の対応が素晴らしいので、自然と次もお願いしたい気持ちになりますね。
  •  今回のリノベーションでも、元の施工がしっかりしているのを目の当たりにしました。野口さんの施工当時の仕事ぶりに感動し、長年に亘って顧客や仕事と誠実に向き合っておられるのを実感しました。信頼感、これは建物の重要な「柱」であることを、身をもって学ばせていただきました。